going my way in Nepal

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going my way with Nepal

見ること聞くこと、すべてが新しいもの。もっと知りたい、もっと知ってほしい。

マレーシアへ出稼ぎに

村でホームステイさせてもらってる家のお父さん。

6年間マレーシアに出稼ぎに行ってた。

マレーシアのチェーン店Sushi Kingで働いてた。

だから日本食の名前をたくさん知ってるし、照り焼きチキンを作ってくれた時は感動した。

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そんなラルさんの話。

 

村で生まれ、まだ幼かった頃にお父さんが不倫して家を出て行った。

母子家庭でギリギリの自給自足生活を送っていた。

 

ラルさんは小3で学校を辞めて働き始めた。

海外からの観光客用のラフティング会社で仕事をした。

そのちょっと前に、近くの川で遊んでたらボートに乗ったwhite monkeyを見たって言う。初めて見る動物に向かって必死に石を投げた。

でもラフティングの仕事を始めてから、そのwhite monkeyが海外から来た西洋人だったことに気づいたんだって。

 

そこから数年して、内戦が始まって観光客が来なくなって仕事がなくなった。

ラフティングどころかネパールで働くことすら望みがなくなった。

海外に行くしかない、ということでマレーシアに出稼ぎに行くことを決心した。

 

ラルさんはマレーシアのチェーン店Sushi Kingで働き始めた。

料理以外にも雑用はたくさんあったけど、お金も約束通り払われたし、人が不足している場所へ急に飛ばされることがあったけれども、給料はしっかりと手渡されたから文句はなかった。

 

他にも出稼ぎに来ていたネパール人の仲間数人と一緒に生活していた。

こうやって出稼ぎに来てる外国人の家を狙った盗難事件がたくさんある。

知り合いで、数ヶ月分の給料を手渡しされ、ネパールの家族に送金するために銀行に向かった途中に襲われて現金を全て奪われた友人もいた。

お金が本当に家族の元に届くまでは安心できなかった。

 

出稼ぎ者として権利は少なかったけど、それでもお金を受け取り、ネパールではラルさんのおかげで家族はしっかり生活できていた。

 

ネパールの情勢が落ち着いてからはネパールに帰国した。

帰ってきてからはトレッキング会社に就職して、シーズン中はトレッキングガイドをして、オフの間は家の農作業の手伝いをしてる。

結婚して、子どももできて、村で生活するには十分なお金を得られるようになった。

 

「たくさんではないけど、昔に比べたら余裕は出てきて、今は幸せだよ」って遠くを見つめながら語ってた彼の横顔が忘れられない。

この人は家族のためにどれだけ頑張ってきたのか、私には計り知れないなって思った。

 

「自分は十分な教育を受けてこなかったから、自分の子どもには良い教育を受けて欲しい」

村の多くの親御さんは子どもの教育には無関心。

大切なのは家の農作業であって、教育がどこに繋がるかまで考える機会がない。

それでもラルさんは毎日子どもに宿題を終わらせたか聞く。

自分の子どもが持っている可能性を考えるのは、トレッキングガイドでたくさんの外国人に出会ってきて教育の重要性を考えるきっかけがあるからかな。

 

自分の子どもの可能性を最大限に生かしてあげたい。

自分の村が良くなってほしい。

そんな話を色々打ち明けてくれて、周りが真っ暗闇になってからもたくさん語った。

 

自分が今やってることで、どれだけの変化が起きるか分からなくて不安になるけど、それでも彼らの現状からちょっとでも良くなって欲しいって気持ちはどんどん大きくなっていく。

この一年だけとは言わずに、この人たちとは一生繋がっていきたいなって思う。

 

 

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